progressのアニメ感想置き場

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魔女の宅急便 レビュー

一人の女の子が一人前の魔女になるため、しきたりに従い1年間の修行に出る話です。

スタジオジブリ作品ですので、ほとんどのアニメファンならみたことがあると思う作品です。

この作品は、一人の女の子の一人立ちの一幕を見る。そんな作品であり、テーマを決めずにこの場を書いたほうがいいと感じました。

決断したら行動力が高い、そして父親には甘えん坊であるキキ。生まれた村は、湖に近いのどかな場所。様々な植物が美しく描かれ、魅力的なワンシーンを詰め込んだ村です。
人語を解す猫、ジジとともに、生まれ育った町を出ます。
旅立ちを見送った後のキキの母の涙であったり、キキのために見送りの人を集めてくれる父。木に仕掛けられた鈴。そこに親の人間性を感じ、この始まりのシーンの前にも、家族や村の物語が存在していた事を感じさせてくれます。

旅立ち、空を飛ぶキキ。ジジがいると、どこか孤独感を感じません。
夜の飛行でも、工業都市の臭い匂いの中でも、音楽と相まって楽し気。

話は飛んで、キキ達は海の見える町につき、町の人と村の人の違いを感じ、少しおじけづくも、オソノさんと出会い、この町にしばらくいることを決めます。初めての一人で知らない場所での修行というものの経験があれば、知らない町で落ち込んだ気分での寝た後の朝は、孤独で、どこかソワソワとする感情を感じます。

仕事を含め町で過ごしている時に様々な出会いを体験していくキキ。
他の子を見ておしゃれもしたいと思いつつも我慢したり、絵を描く少女ウルスラに出会ったり、トンボという少年に出会ったり。

老婦人からその孫にニシンのパイを送り届けるストーリー、そしてずぶぬれになって帰ってきて、パーティの場にずぶぬれの自分が似つかわしくないと思って、まだ間に合うかもしれないトンボとのパーティに行かず家に帰ってしまうキキ(老婦人の孫のパーティへ送り届けたときに自分の身なりに思う事もあったのではないでしょうか)。他人を見ておしゃれはしたいと思うキキも、町の子供の冷たさを感じたキキも、全てキキの魔法力喪失につながっていきます。

朝起きたら、風邪をひいていたキキでしたが、この前のシーンで、ジジが猫の声を発しています。この時、ストーリーの展開を知っているので、ジジが人語をしゃべらなくなったのかとドキっとしますが、この時はオソノさん視点でジジの鳴き声を聴いており、まだキキはジジの声がわかるのかもしれません。

風邪が良くなって、ジジに挨拶し、トンボに届け物をして、トンボと空を飛んだあとに意地が悪くなって、帰った後にジジの人語がわからなくなってしまったキキ。

ここで気付きなのですが、ジジの人語がわからないことによって、自分が飛べないかもしれないという事、魔法力の低下に気づいたキキ。
つまり、この1日の中で、キキはジジの言葉がわからなくなるようなことが起きてしまったという事と、ジジの人語は魔法力によるものという事がわかります。
この1日の中でのキーポイントはキキが自分を疑ったことです。
では、なぜキキは飛べなくなってしまったのか?その理由の探索は、クライマックスの飛ぶシーンまでつながっていきます。

ちなみに、不自然なほどオソノさんが、キキの不安定な心が透けて見える発言に対し、悩んだりとかするシーンがないのですが、これはキキの物語であるため、大人を描きすぎる必要がないからなのかなと思っています。
事実、オソノさんとその夫は、キキのためにパンの看板や、トンボ宛に届け物をしてもらう心遣いなどをしており、気遣っていることが伺えます。

さて、キキは何故飛べなくなったのか、答えが見つからないまま、ウルスラのアトリエに遊びに行きます。
そこで、ウルスラが自分も絵を描けなくなる時があるという話があり、自分の絵を描かなくちゃいけないことが分かった時、前よりも絵を描くってことがわかった気がする、と教えてくれたウルスラ
ここで、自分というもの、自己というものが、大きく物語に見えてきます。

ウルスラは、今までの自分の絵は物まねだったと語ります。ウルスラは他人の物まねをしているから、納得できない事を悟ったといいます。
キキに置き換えれば、町にいる村出身の自分に自信がないから他人の目を伺い、自分を見失ったのではないでしょうか。村で生まれ育ったキキの中にある様々な経験に基づくものこそが彼女に生きる自信をつけさせるのかもしれません。
ここで描写的事実として、悩んでいるキキを見るという体験をすることでウルスラは絵の続きを書けるようになったとキキに言っています。自己の体験に基づく物への理解がそこにあるのだと思います。
キキが飛べない理由は、自身を疑ったことによる自信の消失、それは、村で体験してきた魔女としての自信の喪失だったのではないでしょうか。

クライマックスシーンで、キキがデッキブラシで飛ぼうとしたシーンに、キキのらしさが詰まっているのだと思います。冒頭で旅立ちの時、箒にまたがったキキが少し浮いた後に沈んだとき、キキは箒を小突きました。この関係性がキキらしさではないでしょうか。デッキブラシの時も、彼女は「飛べ」と命令するのです。少し作品中の言葉で考えれば、デッキブラシではなく、自らの血、肉体に対て言っているのだと思います(ウルスラの家に泊まりに行った際の血の会話)。そんな風にキキが理解しているわけではなく、デッキブラシに彼女は「ちゃんと飛ばないと燃やしちゃうから」と脅したりと、彼女のらしさが戻ったのが伺えます。

ここで彼女のらしさが取り戻せたという事は、今まで町になじめなかったキキでしたが、ここから彼女は町になじめるようになり、今までのキキとは違うキキなのですが、彼女のらしさを合わせもった、彼女の生まれ育った過程を決して否定せず繋がっている事が見えます。その点に関して私は好きですね。

まとめます。村から修行にでて、町に馴染めなかったキキが町に馴染みつつも、自分らしさを残し染まらなかったその美しさと強さ、そういったキキの成長を見ることのできた作品でした。そこには人としての迷いや悩みがあり決して高く遠くにある美しさではないから、キキに惹かれるのだと思います。
つらいこともあるけれど、私は元気です、この町が好きですというように、町と戦い、好きになり、自分を取り戻し親を安心させる。自立する一人の少女の物語でしたね。